言葉の奥にあるものを——通訳として見た、ザビエ・ベトコートの占星術
- XBJ Staff
- 2 日前
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こんにちは。ザビエ・ベトコート・ジャパン持田直子です。
私は、2016年よりザビエの通訳としてセッションやワークショップに立ち会ってきました。気づけば、通訳という役割を通して、数えきれないほどの「目の前の人が、本来のその人自身に出会う瞬間」に立ち会ってきたように思います。
今日は、ザビエの占星術を間近で見つめてきた立場から、そして通訳という役割の内側から、少しお話ししてみたいと思います。
星占いではなく、「意識の地図」を読む時間
初めてザビエのセッションに立ち会ったとき、私は「占星術」という言葉の意味が静かにほどけていくのを感じました。そこにあったのは、その人の性質をカテゴライズするものでもなければ、未来を予測するための説明ではなく、
いまこの瞬間の自分を理解するための言葉
の数々でした。後々時間をかけて理解していったことは、ザビエにとって、出生図(ホロスコープ)が「象徴としての地図」であるということでした。今このように言語化してお伝えするには、数年の時間を要したように思います。
出生図に描かれているのは、出来事の予告というよりは、その人が生きていく中で繰り返し出会う「問い」や「テーマ」のようなもので、それらが色濃く刻まれている。まるで、私たちの無意識が星の配置という形で可視化されているようです。いつしか気づけば、出生図をそのような視点でしか見れなくなっている自分がいます。
「出生図は、その持ち主の曼陀羅(マンダラ)そのものです。」
——ザビエ・ベトコート
この考え方に出会って以来、占星術は私にとって「この先一体何が起きるか」を占うものではなく、 「その時その瞬間、なぜ自分がそのような表現を選び行っているのか」を見つめるための貴重な道具になりました。
通訳という「もうひとつの翻訳」
私は、ザビエの言葉を日本語に訳す立場でありつつも、それは単なる言語の変換ではないと常に感じています。
というのも、彼の言葉の背後には、心理学、哲学、神話、象徴学、錬金術、映画批評など、とてつもなく多様かつディープな世界が広がっているからです。その「空気」を感じ取り、ニュアンスを損なわずに伝えること。それが、私にとっての「もうひとつの翻訳」だったりします。何年経っても、それはとても難しい作業だったりします。
そんなザビエの通訳という立場は、同時に大きな責任を抱えていることを常に意識させられます。なぜなら、私が選ぶ言葉がそのまま「ザビエの言葉」として届くことは避けられないからであり、その言葉の持つ威力のようなものを感じずにはいられないからです。
特にセッションやワークショップが始まる前は緊張を感じるわけですが、この先どのくらい経験や回数を重ねたとて、終わった後に「あのような訳でよかったのだろうか」と常に思うことから解放されることはないのだろうな、と思っています。ただ、ありがたいのは、ザビエから全幅の信頼を感じることです。その信頼が私の背中を押してくれると同時に、「プレッシャー」というやつにもなったりするのですが・・・そのくらいが、今の私には丁度いいのかもしれません。
「声にならない声」に、声を与える
ザビエのセッションに立ち会うたびに、そして、自分も出生図を目の前の誰かを介して見る機会を持つようになって、私はそこに「言葉にならないもの」の存在を感じていることに気づきます。言葉にならないなりに、様々な種類のものを感じるのですが、敢えて言葉にしてみるのなら、「人が言葉にする前に抱えている思いや痛み、または心の奥にありながらもまだ形すらも持たない声」と例えられるでしょうか。
その「声にならない声」に、出生図の中に刻まれているシンボルを通して「声を与えていく」というのが、ザビエの表現している占星術の本質なのではないか、と私はいつからか思うようになりました。
私自身、昨年あたりから始めた占星術を使った活動とは全く別のところで、この10年ほどファミリー・コンステレーション(家族療法)を探求・実践しているのですが、私の視点から見ると、この両者はとても近いところにあります。占星術と並べてそう思うのは、ザビエの表現している占星術ならではなのかもしれませんが、いずれにせよどちらも、
無意識の中にあるものを可視化し、声を与える
という点で共鳴しているように、私は感じています。通訳としてその場にいるとき、私は二つの言語を行き来しながら、「声にならない声」が言葉になる瞬間に立ち会っている気がしているのです。そしてそれは、何度経験しても深く心を打つ瞬間です。
通訳を「独占する」ということ
少し個人的な話をさせてください。
現在、日本で行われるザビエのセッションやワークショップの通訳は、2016年以降、基本的にすべて私がひとりで担当しています。私がザビエとこのような形で活動をする前は、複数の通訳の方々がいらしたのを認識しています。
私自身も活動を始めた頃は、複数の方にお願いしていた時期がありました。故に、別の方での通訳を希望される方もいるのではないか、という考えがいつも頭の片隅にあります。そしてそのような方には、申し訳ないなと思ったりもしています。
自分ひとりで担うことの理由は、「調整が自分とザビエの間だけで済む」という実務的な点と、「役割としての責任」をどう果たすかという点にあります。
他の方が行う通訳について、私はその場にいない限り責任を持つことができません。過去に一度だけ「通訳は別の人がよかった」とのご連絡を頂いたことがありました。その時に通訳を担当してくださった方は、実際に私自身その方の通訳を見たことがない方でした。どんな点が不満につながったのか、自分で理解できないまま対処もできず、小さく心に残ったまま今に至っています。
ザビエの通訳という仕事は、単に言語を橋渡しすることではなく、双方の方々の思いを「声」として預かる行為だと思っています。だからこそ私は、ザビエの言葉もクライアントさんからの言葉のどちらも誤解なく、最も誠実に届けたいという想いから、この責任を自分の手で引き受けています。
通訳という仕事には、当然ながら守秘義務があります。セッションが終わったあと、不思議なもので、言葉を訳している最中はすべてを覚えていても、終了後には多くのことー特にクライアントさんの個人的なことは、自然と記憶から離れていくのです。
通訳として、まだ完璧にはほど遠いかもしれません。それでも毎回、できる限り誠実に、そしてクライアントの方が安心して言葉を受け取れるように務めています。通訳が介在することに不安を感じられる場合は、どうか遠慮なく事前にお知らせください。少しでも安心してセッションに臨んでいただけるよう、誠意をもって対応させていただきます。
家族という「見えない構造」を読む
ザビエのセッションの話に戻しますね。あと少しだけ書きたいことがあります。
ザビエによる占星術セッションの特徴のひとつは、クライアント本人だけでなく、家族の存在を重ねて読むことだと思っているんです。ザビエとセッションの仕事を共にするようになってすぐ気づいたことは、セッションの中でザビエが、
ご両親の太陽サインを教えてください。
とザビエから聞く機会が多い、と思うことでした。そしてある日、ザビエと休憩時間に食事をしながら、自分がファミリーコンステレーションに関わっていることをザビエに初めて話したことがありました。実は、ザビエの拠点・メキシコのある南米は、世界の中でもこの家族療法が大きく広がり発展している地域の一つだったりします。ザビエももちろんよく知っていました。身近にコンステレーションの話ができる人がいたことに驚きつつ、その話をきっかけに、私は自分の父母や祖父母などの出生図をセッションに持ち込んだのです。
そのセッションで痛烈に感じたのは、「ザビエは出生図を使って私がコンステレーションで見ていることと全く同じことをしているな」ということ。家族の中に「見えないけれど必ず存在する構造」がザビエの話の中から少しずつ浮かび上がっていったのでした。
ザビエの占星術を私が「稀有だ」と思える理由の一つは、こんな風にして、家系の中で受け継がれてきたテーマや、無意識の忠誠——「自分でも知らずに繰り返していたこと」が星の配置を通して語られはじめることにあります。私自身、戦地で亡くなった父方の祖父の存在がファミリーコンステレーションへの関心の出発点でした。
ザビエの占星術と、私自身が持つ特有の「点」が思いも寄らぬ形でつながった瞬間でした。それ以降、セッションをお申込くださった方にお送りするお知らせの中に「セッションの質問やテーマの有無に関係なく、ご両親のチャートを推奨しています」と追記するようになりました。
1年半ぶりの対面セッションへ
この1年半、私は母の介護と看取りの時間を過ごしていました。その間、仕事の面でも、そして精神的な面の両方で、ザビエにはとてもお世話になりました。そのようなことからずいぶんお待たせしまっていたのですが、再びザビエを日本に迎え、12月に東京で、1月に名古屋で対面セッションを再開します。
長くお待たせしてしまった方々に、そして新しく出会う方々に、この場を通して静かな再会のような時間が生まれたらと願っています。
通訳という立場から見ていても、ザビエのセッションは、同じクライアントさんのセッションだとしても、毎回まったく違う表情を見せます。その場にいる人の「いま」が映し出されるからなのだと思っています。
ザビエの占星術ー特に個人セッションは、人生の「正解」を教え伝えるものではなく、彼の目の前に座った方が自分を理解する道へと向かうことにつながる「膨大な情報」と数々の「鍵」を手渡していく、それも、クライアントさんと共に行う共同作業のように私には見えています。
その旅路の隣で、私はこれからも静かに橋をかけ続けたいと思っています。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
いつもザビエと繋がってくださっていることに、心からの感謝を。
持田 直子
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